こまメモ

Twitter以上技術ブログ未満

個人目標って難しい

自分の会社では、開発者1人1人が個人目標を設定している。個人目標は評価制度に従属していないので、個人目標というものの使い方は人それぞれだ。前職でも個人目標を立てるという制度はあったのだが、自分はどうもこの個人目標というものをうまく活用できていないな、と思う。

新卒で入った会社で初めてプログラミングに接してからの2年くらいは、何を学んでも新鮮で、興味を持ったこと(ソフトウェア設計や開発プロセス)について本を読んだり勉強会に出たりしているだけで「前に進んでいる」感覚が得られた。それらは実際の業務でも役立った、と自分では思っているし、おそらくそれらの勉強をしていたことは、転職をしようとしたときにも助けになったのだろうと思う。

しかし、現在の会社に入ってから、目の前の仕事での課題を解くために書籍や勉強会から得られる知識が役立つ割合が減っているという感触がある。これはおそらく自分の成長が知識の点においてはある種の踊り場に差し掛かっているということなのだと思う。同じようなジャンルの本ばっかり読んできたからなぁ。


この1年の自分の課題感のほとんどは実践の水準にあって、思ったよりも自分がうまく仕事を進められないという悩みが中心だ。本を読んで適用すればうまくいくという気が全くしていなくて、目の前の課題に(今まで学んできたことももちろん使いながら)真っ向から取り組まなくてはいけない時期かな、と感じる。


こうなったときに、個人目標の立て方としてわかりやすいのは、今まで触ったことのない技術の勉強をするとか、そういう方向だろう。自分が今まで勉強してきた分野と同じく、それぞれの分野には読むべき書籍というものがあるわけなので、これを各個撃破していけば書籍からの学習による知識レベル向上の踊り場とはしばらく無縁でいられる。ということで、昨年度の個人目標では、今まで読んでこなかったようなジャンルの技術書を毎月は読もうというものを立てたのだった。

ではそれで続いたかというと、続かなかった。モチベーションがなかったのだ。技術書を全く読まなかったというわけではない。仕事でぶつかった課題が、技術的に新しい分野のものであれば、その分野の書籍を読むようにはしていた。しかし、仕事と離れて単に本を読むということがどうにもできなかった。

それ以外にも昨年度の個人目標では色々と立てていたのだけど、あんまりうまく使えなかったなと思う。単純に意志が弱いというのもあるんだけど、自分が心底信じられ、また信じ続けられるような像というものがなくて、いつの間にか取り組みをやめてしまったものが多かった。目標で掲げたことに取り組むことで仕事がうまくできるようになると信じ切れなかった。

思えば、大きな目標を立てて、そのために努力をして、目標を達成した、という成功体験が、自分にはあまりない。努力をしてこなかったとか、何も達成してこなかった、というわけではないが、特に目標を立てずに過程自体を楽しんでいたら何かが達成されていたとか、目標に向かって努力はしたけど達成できなかった、という思い出の方が多い。

今は止めてしまっている「週一でブログを書く」というのはかなり頑張っていたし、それなりに長い間続けることができたけど、あれは何かを達成するための努力というより、努力を続けること自体が目的だったので、違うな、と思う。当時の自分は「このままだと開発者として生き残れない」という焦燥感に駆られていて、かなり転職を意識してブログを書いていた(「転職を成功させること」を目標として設定してブログを書いていたわけではなかった、というのがまた自分の不徹底なところなのだが)けど、今の自分は、そこまでの切迫感を持って何かに取り組むことができていない。転職して安心してしまったという側面もあるし、目の前の仕事の課題に取り組むことが大事だと思っているという側面もある(後者なら後者で、もっと頑張れよ自分、とは思う。やっぱり甘えてるんだね)。


と、ここまで書いていて、自分が楽しいと思えることにちょっと真剣に取り組むことを続けるのがいいんじゃないかという気がしてきた。楽しいと思えないことは続けられないけど、楽しいと思うことをただ楽しんでいるだけでは進歩が得られない。だから、楽しいと思えることを探して、それにちょっと努力の要素を追加してみるのがよいのではないか。


最近の自分としては、個人目標は、(「ブログを書く」や「技術書を読む」といった)日々の行動で定義されるべきではなく、何らかの到達点として定義されるべきなのではないかという気がしている。ブログを読んだり技術書を読んだりというのはアウトプットであって、アウトカムではないのだ。これはおそらく評価という観点からみても妥当で、「ブログ書いてます」「技術書読んでます」と主張しても「で、それが会社のビジネスにどう関わるの?」と言われてしまう(自分のところのマネージャーはたぶんそんなことは言わないけど!)。採用とかの場面では、継続的に学習できていることは評価されていいとは思うけど、成果で見せることができる社内の評価においては、学習できていることは二次的な資料の地位に止まるのではないかな、と思う。

と、いうようなことをぼんやりと考えて、今年度の個人目標は、1年後にどうなっていたいかを考えて立てたいなと思っている。そして、この「どうなっていたい」というのも、個人として考えてしまうとどうしても「いや別にそんな明確なビジョンないですわ」となってしまうので、「チーム・組織やプロダクトが、1年後にどうなっているといいか」から考えるといいのではないか、と思っている。自分自身には特に目指したいビジョンはなくても、チームや組織、プロダクトというのは、一緒に作っていく仲間がいるし、それらをよくすることで喜ぶ人も(自分以外に)たくさんいる(ユーザーに使ってもらえるプロダクトを作れているって幸せですね)。「目標を立てて、その達成のために努力をして、達成する」という自分に不足している成功体験も、会社という仕組みに乗っかることで得られるのではないだろうか。


そういえば、これまでの人生で、スポーツや将棋で団体競技をする機会はそれなりにあったのに、「みんなで目標に向かって頑張った」という思い出が全然ない。スポーツも将棋もエンジョイ勢だった。自分が気づいていなかっただけで、チームメイトの中には目標に向けて頑張っていた人もいたのかもしれないなと思うと、今更ながらすまんかったという気持ちになる。