こまメモ

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MMTについてのメモ

別にMMTは信奉していないし、経済・金融理論について「信奉する」という態度を取るということも多分ない(そこまで強い関心がない)のだけれど、MMTは結構一般の人々の間にも知られるようになってきた(Twitter上の知り合いのソフトウェア開発者の中にも、MMTの入門書を読んでいる人がちらほらいる)ので、自分なりに位置付けておきたいという気持ちがあらためて出てきた。

3年ほど前に経済学・金融論について勉強したときは、ランダル・レイの『MMT 現代貨幣理論入門』の翻訳がちょうど出たころで、「財政支出の制約は財政均衡ではなくインフレだ」という主張くらいまで理解して、「まぁそれはそうかもしれんな」と思った記憶がある。

この分野は、人々が通貨などについてどのように予測するかが現実にも影響を及ぼすものだし、財政・金融当局の「語り」もそういった予測を左右するものでもあるので、理論の「妥当性」というのを考えるのがとても難しいなと感じている。だからこそそこまで突き詰めて考える気にもなりづらく、ある程度まで「ここはおかしい、ここは正当」という評価できたら自分としては満足できるかなと感じる。

というところまでを書いていて、「突き詰めてものを考える能力(あるいは意欲)」が失われているのではないかという自分に対する懸念が湧いてきたのだけれど、そこはこのメモの本題ではない(しかしメモなので自分の感覚を書き留めることにも意味はあるので書き留めておく)ので、深掘りすることはやめて、MMTについての議論を拾い読み程度に眺めてみてのメモを書いておく。

眺めてみたいくつかの記事・書籍

以上のように、MMTの主張を理解することが自分のしたいことではなくて、適切な距離の取り方ができる(一笑に付して終わりにしてしまうにするわけでも、どっぷりと浸かるわけでもなく)ようになりたいので、批判すべきところは批判し、妥当なところはそれを認める、というようなものを読みたいなと思った。この分野に詳しいわけでもないので、適切なものを選べている気はなく、また本格的に調査しているわけでもない(「気になったのでいくつか調べてみた」程度)ので、参考にはしないでほしい。あくまで自分用のメモだ。


toyokeizai.net

岩村充の記事。MMTに反発する「主流派」への批判的な眼差しを持ちつつ、MMTの議論についても批判を加えている。最後に触れられている、財政支出のあり方についての話は、別の論者も指摘していた。

記事中でも紹介しているFTPL(物価水準の財政理論:Fiscal Theory of the Price Level)というのはMMTに関する議論では言及されているのを観測していて(TL調べ)、押さえておくとよい話なのかもしれない。

toyokeizai.net


courrier.jp

ニューヨークタイムズの記者の記事の翻訳。前述の自分が経済・金融について勉強していたのは新型コロナ以前の時期だったのだが、新型コロナ下での米国の政策がMMT論者にとっては自分たちの議論を裏付けるようなものと捉えられ、MMT陣営は盛り上がっていたらしい。その後、米国でのインフレの加速を受けて、やや展開が変わってきているというのが現状ということだ。


元日銀審議委員の原田泰の著作。たまたま本屋で見かけたのでMMTについて何か言っていないかと思って立ち読みしてみた。日銀時代の日記のようなものだが、ケルトンが来日した際の記述で、MMTについて言及している。いわく、MMTの主張は(主唱者の言い分とは異なり)一部分は「主流派」の考えとそう異なるものではないとか、MMTは理論というより社会運動のように見えるとか。

--- その他

weekly-economist.mainichi.jp

過去の自分の言及

自分が接する論者はMMTに対して批判的な人が多かったので批判的な言及の仕方が多い。


木庭顕「信用の基礎理論構築に向けて : プロレゴメナ(上)」への反応。

cir.nii.ac.jp

金融・貨幣理論について論じている中で、MMTに言及している。いかに一例を挙げる。

再生した信用貨幣説の一ウイングは信用貨幣理論でマクロ経済学、特にそれに基づく金融政策を覆そうとするに至った(cf. L. R. Wray, Modern Money Theory: A Primer on Macroeconomics for Sovereign Money, 2ed., 2015)、と見うるように思われる。

(p.76 脚注13)

R.G. Hawtrey, Currency and Credit, 4ed., London, 1949 (1 ed., 1919). 先に触れた1980年代からの信用貨幣理論は、古い系譜を主張するが、以下に述べるHawtreyの厳密さは持たないように思われる。つまりHawtreyは厳密なニュアンスを持ったcommerceという事象にcredit moneyを基礎付け、これも後に述べる政府債務基盤のmoney of accountを峻拒する。これを好んで取り入れ、しかも政策論へ短絡する最近の信用貨幣理論とは遠く隔たる。

(p.77 の脚注14)

全体的に、MMTに対しては批判的である。木庭の理解によると、マクロ経済学主流は金融・財政政策面ではMMTとは対立する側面を有するものの、貨幣理論についてindifferentで折衷的な立場を取っているため、(MMTがその一つの極みであるような)貨幣理論とは必ずしも対立していないという(「潜在的な対立と奇妙な同居関係の存在」)。

なお、ホートレーについては、2012年に『R. G. ホートレーの経済学』を著している古川顕が上記の木庭論文の出た少し後に『貨幣論の革新者たち』という書籍を出すというので、図書館だか書店だかで手に取った記憶があるが、あまり自分の関心には刺さらずに通読はしなかった。


神野直彦『財政学 第二版』への反応。第三版がこの後でているので、そこでMMTについても言及があったのだろうかと思ったが、Amazonレビューによると特に言及がない模様。


藤谷武史「ポストコロナの財政(下) 執行後の検証・統制 強化を」への言及。租税法学者の立場からの批判。

「租税が貨幣を駆動する」という教義からすれば、インフレになれば直ちに非裁量的に増税されることで、実物経済供給力と貨幣量(購買力)のバランスが調整されるというのが前提のはずだ。だがこれは国会が増税のタイミングを決定する権限を自ら放棄することにほかならない。

その他メモ